明治から大正
「向かい合う順階瀧」
現在の梅の間から山の部分がまったくありません。この瀧はぐるっと回り込むように流れ落ちていました。
この写真では、瀧の周りに8人ぐらいの方が立っています。大正時代の写真では東屋などが出来て、散策など出来たようです。(開発の相談でもしていたのでしょうか)