1958年・昭和33年2月13日 | ||
「高松宮様とスキー倶楽部」 |
こちらは、スキー倶楽部のメンバーとの写真です。一番左の男性は、全日本スキー連盟会長小川勝次さんで、高松宮様には必ず随行しておられた方です。この頃のスキー靴は、ひもで縛るタイプです。 一番右が平田シナです。 高松宮殿下のスキー随行記より |
昭和33年02月13日 |
吹雪となった。昨日もしこの吹雪であったら、安達太良越えは出来なかったことを思う。 八時、車で沼尻温泉田村屋(主人渡部恒次郎)へ御成りになった。小川と渡部とは三十三年ぶりの面会である。しかし渡部老は既に耳が殆ど聞こえず、なにを言ってもただなつかしそうに肯くばかりである。県から依頼された”あまり頑固な態度をとらず、みんなと仲よくやってくれ”という言葉も、大声で叫んでみたが聞こえたかどうか疑問であった。 田村屋の横はすぐ沼尻スキー場であり、早大スキー部発祥の地であると共に、福島県のスキー発祥の地でもある。スキーリフトも2本架設してあった。 吹雪が荒れ、新雪も深かったが、殿下には二度お滑りになった。小川には懐かしいスキー場であるが、当時の面影を思い出すことは出来なかった。これは近所の樹木が三十余年の間に伸びて、風景が変わってしまったためと思った。 スキーで沼尻駅までお下りになり、そこから軌道で九時十五分御発、樋口駅御下車で猪苗代小学校でご休憩された。猪苗代町長小野弥太郎伺侯する。十時三十分猪苗代駅御発で会津若松駅御着、東山温泉向瀧(経営者平田シナ)で御昼食される。 午後は背炙山スキー場へ御成りの予定であったが、吹雪のためケーブルが運転休止でおいでになれず、時間潰しに麻雀をお楽しみになった。御夕食は会津若松市長横山武の祝宴があった。 |
昭和33年02月14日 |
今日も吹雪のため背炙山のケーブルは動かず、東山でのスキーを断念された。 九時十五分会津若松駅御発、郡山駅で蓮沼等、福島県の方々と別れ、十五時四十分上野駅御着で御帰京となった。 |