1958年・昭和33年2月13日 | ||
「高松宮様とスキー倶楽部」 |
こちらは、スキー倶楽部のメンバーとの写真です。一番左の男性は、全日本スキー連盟会長小川勝次さんで、高松宮様には必ず随行しておられた方です。この頃のスキー靴は、ひもで縛るタイプです。 一番右が平田シナです。 高松宮殿下のスキー随行記より |
昭和43年01月28日 |
六時五十一分
上野駅御発、随行小川、中野新。白川駅まで福島県保険体育課長玉川春雄と高橋一郎がお出迎えに来てくれ、十時五十三分猪苗代駅御着。すぐ猪苗代スキー場に御成りになり、磐梯ロッジ(昭和観光開発専務藤ヶ崎訥美経営)で御昼食される。 午後から早速スキー御愛用となった。上段リフトの終点から更に陵線までお登りになって、長い滑降をお楽しみになった。積雪は二メートルに達し、好天の上に雪の条件は良く、快適であった。 十六時から猪苗代町(町長山本秀雄)役場で第十九回高松宮杯記念ジャンプ大会の開会式があり、御臨席された。福島県知事木村守江も出席した。十六時二十分町役場御発で会津若松市へ向かわれる。途中、強清水で御休憩され、管井フヨ商店で鰊のてんぷらを賞味された。十八時東山温泉向瀧(社長平田昇)御着。 御夕食は木村知事主催の殿下御歓迎夕食会があり、会津若松市長横山武、福島県スキー連盟会長山口重幸、高橋一郎らも出席した。 |
昭和43年01月29日 |
九時三十分東山温泉御発、会津若松市に出られ、突然、高橋一郎の経営する店舗(自転車販売)にお立ち寄りになり、高橋夫妻吃驚する。十一時猪苗代スキー場ジャンプ台にお着きになった。 宮杯記念ジャンプ大会は出場者二十四人によって競技され、猪苗代高校の渡部絹雄が優勝したので、土地出身の高校選手であり、観衆等大喜びであった。二位は明大の菅野弘二で、最長飛距離は渡部も菅野も四十八メートルであった。閉会式で渡部少年は、殿下から殿下杯を頂戴した。福島県から有望なジャンプ選手が誕生したのははじめてで、これからの渡部に期待したい。 競技会が終わり、昨日のようにスキーをお楽しみになった。今日も晴天で風はなく、十六時まで、充分にお滑りになった。月曜日ではあるが、一般のスキー客も仲々に多かった。さして急斜面ではないが、広大な斜面が魅力であろう。 十六時三十三分猪苗代駅御発、県教育長折笠与四郎、玉川課長それに高橋一郎が殿下の御夕食の弁当を持参し、白河駅まで送ってくれた。二十時三十九分御着で御帰京となった。 |