1958年・昭和33年2月13日 | ||
「高松宮様とスキー倶楽部」 |
こちらは、スキー倶楽部のメンバーとの写真です。一番左の男性は、全日本スキー連盟会長小川勝次さんで、高松宮様には必ず随行しておられた方です。この頃のスキー靴は、ひもで縛るタイプです。 一番右が平田シナです。 高松宮殿下のスキー随行記より |
昭和48年01月16日 | |
九時九分上野駅御発、随行小川、中川新。白河駅から福島県スキー連盟副会長高橋一郎、同県教育次長内田茂がお弁当持参で乗り込む。十三時十分猪苗代駅御着、福島県知事木村守江、猪苗代町長山本秀雄、全日本学生スキー連盟会長伴素彦、福島県スキー連盟会長小林七之助らお出迎えする。 猪苗代町役場で御少憩の後、十四時二十五分猪苗代中学校校庭にお着きになり、第四十六回全日本学生スキー選手権大会の開会式に御臨席された。快晴無風で暖かく、霊峰磐梯山(一八一九メートル)が青空を突き刺すように聳えている。その上、雪不足の今年ではあるが、校庭は白雪が美しく均されており、観衆も多かった。参加校は百十校、参加選手は九百九十四人という充実振りである。殿下から次のお言葉をいただく。
十七時三十分から木村知事主催の殿下御歓迎夕食会があり、学生スキー連盟から伴会長、田村義輝、宮川恒夫両副会長、逸見三郎理事長、高瀬喜左右衛門会津若松市長、陸自第六特科連隊長田口初幸、高橋一郎らも出席した。 |
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昭和48年01月17日 | |
九時向瀧御発、今日も晴天である。十時十分猪苗代スキー場の距離競技会場にお着きになり、三十キロ競技の二部、一部選手のスタートを御覧になり、次いで一周十五キロコースの最高地点までおいでになって、力走する選手を激励された。お帰りに伊黒正次、江遠要甫の説明により、七十メートルに改造されたジャンプ台を御視察され、ヴィライナワシロで御昼食
された。 十三時二十分ヴィラ御発で奥の沼尻温泉田村屋(渡部恒昭)にお着きになり、さっそくスキー服にお喜換えになった。御案内は松山六郎と田村屋主人渡部、それに渡部勝美、佐藤武、女性の秋田和美、佐藤貴美子が随行した。殿下の今年の初滑りである。第1リフト三百メートル、第二リフト五百メートルとお登りになり、さらに林間コースを1時間近くもお歩きになって、白糸の滝の見晴らし台までお登りになった。安達太良方向の山々を御展望の上、そこから滑降をお楽しみになる。積雪は一メートル以上もあり、晴天ではあるが八百四十メートルの標高をもつ沼尻の雪質は良く、先ず申し分のない初滑りであった。 この沼尻スキー場は大正十年、小川ら早大スキー部が開発したスキー場で、小川も五十二年振りにこのスキー場に立ち、感無量であった。現当主恒昭は当時の主人恒次郎の孫に当たるという。 十六時近い頃、まだ明るかったが安達太良山あたりから大きな満月が登りはじめ、珍しい光景を眺める。空気が清浄なせいであろうか。 十六時二十分宿にお入りになった。田村屋も堂々たるホテルに改築されたが、一部なお五十年前の古びた建物が残っていた。御夕食は県秘書課長磯貝博、保健体育課長大木昭一郎、山本猪苗代町長、佐藤光信同議長、松山らと御会食され、御夕食後、麻雀でお楽しみになった。 |